震災記念堂

終戦記念日なので、震災記念堂へ行ってきた。
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この、「震災記念堂」という名称は、年代によって言い方が変わります。

小さい頃、明治生まれの祖父・祖母は、震災記念堂で遊んできたというと、
「あぁ、被服廠か。」といっていました。

昔は、そんなのがあったのか程度に聞き流していましたが、パンフ見たら

大正8年に、陸軍被服廠が、赤羽に移転し、公園を造成予定だった。
その公園造成計画中に、大正12年9月1日昼、関東大震災が発生。
敷地内に、震災記念堂を建てて、昭和5年に、公園が完成する。
その後、第二次大戦末期の東京大空襲の被災者も奉祀し、東京都慰霊堂と改名。

う~ん、歴史だ。

地元にいる人から見ると、
「被服廠だった(大正8年以前)」
「被服廠跡だった(震災前後)」
「震災記念堂だった(昭和5年以降終戦まで)」
「東京都慰霊堂になった(戦後)」
となるので、年代によって呼び方が変わるんですね。
40過ぎてやっと理解できた(^^;

あれ?自分は東京都慰霊堂??と思ったら、親が震災記念堂年代なので
子供の時に、「ここは、震災記念堂」と教えられて覚えちゃったんだな。

現代の正解は、「横網町公園」
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の中に、「東京都慰霊堂」
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が、ある。 と、なるようですが、地元人で知ってる人いるのかな・・・?

自分は、今日まで「横網町公園」なんて、知りませんでした(^^;

さて、その横網町公園の中には、復興記念館が、あります。
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公園、記念堂完成の翌年、昭和6年4月竣工。
入館料無料で、9:00~16:30。 月曜休館。

小さい頃入ったような記憶があるけど、覚えてない・・・

当時の新聞や、被災地図、被災した生活用品等生々しい傷痕や
それを乗り越えて復興してきた努力に、とても感動します。

東日本大震災を経験した今、ゆっくり見て2時間くらいですので
ぜひ、見ていただきたい。 未来への、活力になると思います。

公園内には、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑
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日本庭園の散歩道
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ほか、子供の遊び場もあります。

また、朝鮮人犠牲者追悼碑や、中国より寄贈された幽冥鐘もあり、
現在の、尖閣諸島や、竹島問題を早く解決して、仲良い国交を
取り戻してほしいと、強く願う一日でした。

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